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拡げるためのクリエイティブ・コモンズ

Creative Commonsという考え方がある。

スタンフォード大学の法律学者であるローレンス・レッシグ教授が提唱した、人間の知的価値創造の共同化に対する一つのアプローチ、とでも言えばいいのだろうか?

人類の歴史が始まって以来、人は沢山の知的価値の創造を行ってきた。
人が考えるのが、人が人であるための条件であるとするならば、人が何かを創り出すのは、正に人が生きていることの証明、とまではいかなくとも、人間存在において何かしら重要な意味・価値を持つ行動である言えよう。

現代、特にデジタル機器が発達して以来、人が何か創り出す土壌が、一部の人々のみによって独占される傾向が強まっているのではないだろうか?

本来、デジタル機器や、インターネットなどの存在は、情報の輪を拡げるために存在すべきものである。
これは、とりもなおさず人間の創作活動における、創作者と消費者との溝を埋めるべきものであって、溝をさらに深くするものでは間違ってもない。

モノ・カルチャー、という言葉がある。
日本は典型的にモノ・カルチャーの国である、と言われることが多いのだが、デジタル機器や、マスコミ、それに街を歩けば聞こえてくる甘ったるいラブ・ソングは、売れば売るほど儲かる企業の立場からすれば絶好のチャンスであり、多様的な文化を愛する人にとってはセイレーンの歌声であると言える。

では、我々は、これからこのデジタル機器や、進化し続ける通信技術を使って何をすればよいのだろうか?

答えは簡単だ。
情報をただただ消費するだけではなく、発信する側にまわればよいのである。

2004年初頭の現状を察するに、おそらく、これから数年の間は、現代のようなプロフェッショナルとアマチュアが明確な分水嶺をもって別れている状況が続き、片方は商業的成功を求めてひた走り、片方は独自の地平線を開拓していくのであろう、と思われる。

そして、次第に人間の創造性、という名の下に、これら2種類の立場はゆるやかに溶け合い、結合していくのであろうと思う。

この際に、有用になるであろう概念が、Creative Commonsだ。
名前を売り込みたいアマチュアが、Creative Commonsのネットワークの海へと自分の作品を売り込むことで、純粋な作品の良し悪しによって評価され、上手くいけば名前を売ることが出来る。
お金を使うことにやぶさかではない企業なり、商業媒体なりが、世間的にも評価されたこのクリエイターの作品を、恐らくはCreative Commonsではない縛られたライセンスで利用することでクリエイターは飯の種を得ることができる。
例えば、こういったモデルが確立されることによって、クリエイターはインセンティブを得ることが出来るはずだ。

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2ちゃんねる、という世界でも稀な掲示板文化が日本にはある。
みなが同じような文体で話し、同じようなAA(アスキー・アート)を張る。
と同時に内部的には相当に複雑で多様な意見を含んだ、いわば情報の見本市である。

日本人の多様性は、現代の大量消費社会において、超高度資本主義経済 ((C)村上春樹)の名の下に、殺されかけている、と言ってもいい。
みなが同じような仮面を被って、同じようなものを消費し、同じようなものを夢見ている。

多様性なくして人間の未来はない、と言ってしまうと大げさだが、これからの社会で生き生きとして見えるのは、自分の人生を生きている人たちであり、また、日本人の仮面の下には、複雑で、多様で、底抜けに楽しい魂が眠っている、と自分は確信している。

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ネットはなぜ「プロ/アマ」の境界を崩すのか

レッシグ教授へのインタビュー記事

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