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教育について

週末に、田舎の祖父母の家を訪れた。

ひきこもりがちになっている、と噂のいとこに会った。
楽しくもない学校なんかに無理矢理行け、なんて言い続けられたらそりゃぁ毎日が暗くもなるよなぁ、と思った。
ちゃんと話しかけてあげればちゃんと反応する。
まだ17歳なんだから、親に頼んでインドにでも2,3年行ったらどうよ?と無責任に勧めておいた。
いや、自分だったら喜んでいくんだろうけどな・・・。

たいして美味しいわけでもない、されど田舎のテーマパークと化しつつある牧場のレストランで食事して、人波を見ていたら色々と考えさせられた。
結局日本人って人のいるところに集まる習性があるのかな、とか。
究極的な意味での教育とは、「“根元的に善な論理的ロゴスの固まり”のようなもののありかた」を教えるべきものなんじゃないかな、とか。
こりゃ「国家」の読み過ぎかも・・・。

でも、何で勉強が楽しいかを教えてくれた先生を、僕は片手でしか数えることができない。

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会社の帰りの電車で、途中の駅で1回降りたら入れなかったので、そのまま本を読んで次の電車を待った。
満員電車は避けるに限るのだが、見ていていつも思いつくのが中村一義の「永遠なるもの」の歌詞。
“♪すべての人たちに足りないのは ほんの少しの博愛なる気持ちなんじゃないかな♪”。

現在の資本主義の原動力は、あくなき所有と消費とへの憧れで、そのためには生産の拡大が求められる。
生産性の拡大は市場の拡大を意味し、個人の消費の拡大を必要とする。
このサイクルの必然が現在のメディアであるのならば、そんなメディアは滅んでしまえばいいと思う(以外と本気)。

現在の一般大衆的メディアが死んでしまった世界でも、人はパーソナルなメディアを駆使して情報を交換し続けるだろうし、インターネットはまさにそのためにあるようなメディアだ。

もし、ものごとがデジタル化することで世界のモノカルチャー化が進んでしまうのであれば、あえてアナログに生きてみるのもまた一興なのではないのかな、と思った。

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