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「恋する天才科学者」という本がなかなか面白かった。

恋する天才科学者恋する天才科学者
内田 麻理香

講談社 2007-12-20
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気軽に読める「天才科学者変態伝」(あるいは「天才科学者を“男”として見るとどうなるだろう評伝」)で、

(科学に)恋する天才科学者
(誰かに)恋する天才科学者
(著者が)恋する天才科学者

・・・という三重の意味をもった題名の通り、愛すべきダメ男であり、人間的に癖だらけの天才科学者たちを著者の独断と偏見で選び、面白おかしく紹介している。ニュートンからファインマン、ダーウィンから南方熊楠まで、という守備範囲の広さがなかなかナイス。
とはいえ、ゴシップネタが多めだったりとか、インパクトが強めだったりする科学者が優先して選ばれているので、優等生タイプの普通っぽい科学者がのってないのが少し寂しかったりもする。

アインシュタインが死ぬまで女ったらしだったってのは有名な話だし、ニュートンが猛烈な女嫌いだったとか、ヒンドゥー教にハマってた浮気ホイホイシュレーディンガーとか、20才で死んじゃったガロアとか、科学者にはいろんなタイプの(エキセントリックな)人がいて面白い。著名な科学者の面白おかしいネタを拾い上げてあ~だこ~だとやるだけなら誰にでもできるけど、その人たちの研究成果や研究に対する態度、そしてその生き様からあふれ出てくるエッセンス(人となり)がきちんと描かれていて、適度にバランスが取れているところがよかった。

**

著者と同じく、自分もファインマン・ラブ(もちろん性的な意味ではなく)な人なので、彼の詳しい生い立ちについて書かれている部分はなかなか楽しく読めた。
ファインマンさんの本というと、

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)
リチャード P. ファインマン Richard P. Feynman 大貫 昌子

岩波書店 2000-01
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が抜群に面白いし、よく知られている。
これの巻と、困ります、ファインマンさんあたりを一通り読んだ人におすすめしたいのが「ファインマンさんベストエッセイ」。
「ファインマンさん」シリーズが、ファインマンの友人であるラルフ・レイトンによる聞き書きであり、(厳密な意味での)ファインマン本人による著作ではないのに対して、これに収められている文章は、どれも彼の手によるもの。

ファインマンさんベストエッセイファインマンさんベストエッセイ
リチャード・P. ファインマン Richard P. Feynman 大貫 昌子

岩波書店 2001-03
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この本の中で特に注目すべきなのが、1986年に発生したチャレンジャー号の事故の調査委員会の一人として彼がまとめた報告書。
事故の真相究明のためにアメリカ中を飛び回り、低温状態のOリングが硬化したこそが事故の原因であることを突き止めた彼は、この報告書の中で成功を急ぐあまりに安全を切り捨て続けたNASAの体制を真正面から批判している。

事実をありのままに見て、できる限り裏づけをとって、不確実性を排除することこそが科学者の本分であるとするならば、ファインマンは実に誠実にそのやり方を守ったのだなぁ、と心から感服してしまう。
大抵の人間にとって、正しいやり方を見抜くことはそう難しいことではない(By セント・オブ・ウーマン)。
でも、その正しさをきちんと守りながら現実の世界と対峙し続けるためには、途方もない努力や忍耐が必要になる。

自らの能力をフル活用して、目の前に見える「面白いこと」や「直視すべきもの」と遊び・戯れ、闘い続けたファインマンは、やはり自分にとって最高にカッコよい人だなぁ、と改めて思った。

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本屋さん開業(?)

ふと思い立って、本棚を占領している本やDVDの一部を処分することにした。

P22455811ここ最近は、もっぱら図書館に依存した読書生活を送っているので、本を必要以上に買うことも減ったのだけれど、その前は読みたくなった本をサクサクとAmazonのショッピングカートに入れてはドカ~ンと発注していたので、おぞましい量の本が本棚を占めているのだった・・・。

**

大掃除なんかの時の要領で、「ああ・・、なんでこれを買うかなぁ」と過去の自分を呪いつつ、「これいらない」と懐かしい本達に別れを告げていくプロセスは、なかなか面白い。

こういう時に残る本って、一回読んだとしてもついつい手に入れたくなってしまうような本だから、今本棚に残っている本(残り半分くらい)は、引っ越しをすることになったとしても手元に残せるくらいラブな本だと言えそうだ。

残したくなるような本には、いわゆる「名著」と言われるような本よりも、主観的に「好き」と言える本が多い。背伸びして読んだような難しい本は、その時は面白いけど何度も読むものじゃないし、誰かに読ませようって気にもならないので、手元に置いておくだけ無駄になる。

本とのつき合い方について、色々と考えさせられる多くって、なかなか有意義な時間を過ごすことができた。

**

処分する本をBOOK OFFに持っていっても、二束三文で買いたたかれるのがオチなので、

- Amazonのマーケットプレイスで1,000円以上の値がつきそうなものはマーケットプレイスに出品
- それ以外はBOOK OFFに持っていく

・・・というルールでやってみようかなぁ、と思っている。

自分の見るところだと、マーケットプレイスでの中古本の値段の付き方は、その本の流通量に大きく依存しているようだ。マニアックな本は出品数も少ないし、元の値段も高かったりするので最安値が比較的高止まりなので強気な価格設定ができる。対して、割とよく知られている本だと、出品数が多くてその分最安値競争が激しいので弱気な価格設定にせざるをえない。

とはいえ、マニアックな本はマニアックであるがゆえに需要も少なめなので、いかにリーズナブルな値段が提示できても買い手がつかないことが多い。つくづく、ものの価値ってのは人によって違うんだなぁと思う。

割と気に入っている本に正当な値段がつかないと、なんだか悔しい気がしてしまうのだけれど、そこはグッと我慢してキレイな別れをしようと考えている。

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Thousand Words

暇つぶしと勉強がてら、自宅サーバで ZopeCORE Blog というツールを使ってまとめていた読書録を公開してみることにした。(ここ -> Thousand Words)

もともと、本棚.orgというサイトが気に入っていたのだけれど、マニュアルで登録するのが面倒だったので、似たようなものは作れないかな~と考えていたところ、Movable Type で利用可能な Aws (Amazon Web Service) Plugin を使えばいけるんじゃないかしら、と思いついたのが事の発端。

必要になった作業は、

1. Aws Plugin を yama-kei.org で使っている MT 3.2 で使えるよう改変
2. Process Tags Plugin を導入してエントリの中から タグが使えるようにする
3. CORE Blog から MT の形式でエクスポートする部分に細工をし、 タグを埋め込んで各エントリにを利用した本の情報が出力されるようして MT にインポート
4. 新しいエントリを書く際に、ASIN (Amazon が扱う商品は全てこの "Amazon Standard Identification Number" によって管理される)を指定するだけでエントリに本の情報が自動挿入される仕組みを導入

・・・という感じ。

Aws Plugin は、オリジナルの作者の方によってメンテされておらず、MT 3.2 で使うためにこちらの I18N を使って文字コード変換を行う修正を参考にさせていただいた。

エントリ作成時に ASIN を指定する方法は、ウェブに転がっていた情報をベースに自力で突破。[mt_root]/tmpl/cms/edit_entry.tmpl の diff
Amazonの画像(amazon-button.gif)は、こちらのサイトにあったものを利用。

まだまだテンプレートをいじったりすれば本棚っぽくしたりできそうだけど、とりあえずここまでいじって飽きたので、しばらくは放置しそうな予感。

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喪男の哲学史

「恋愛至上主義に毒された現代人がいかに救われるべきか、そしてどうしてこんなことになっちゃっているのか」をモテ・非モテという分かりやすい対立軸を利用して熱く語った本。

はっきり言って、これ以上分かりやすくて優れた哲学入門はないだろう。よくある「哲学入門」やら「はじめての哲学」、そして断片的に有名な哲学者(プラトン、アリストテレス、デカルト、ニーチェ・・・)の本をかじるよりも、この本を読んでいかに哲学という活動が無駄に沢山の人を迷わせてきたかを肝に銘じておくほうがよほどタメになる。哲学がいかに回りくどい形で紆余曲折を経て無力化してきたかを知り、それでも哲学に救いを求めたい人は勝手に求めればよいのだ。

とにかく「これでもかっ」とばかりにオタク受けするキーワードが散りばめられており、丁寧かつ笑える脚注を拾っていけばそっち方面の素養のない人でも理解できる。そして素養のある人であれば、より深くこの本を楽しめる。そっち方面に免疫のない人にはおすすめできないが、一度でも哲学・宗教・心理学に興味を持って自分で学ぶ努力をした人であれば笑いあり・感動ありの充実した読書になること請け合いである。

非モテ属性のついた人間を"喪男(モダン)"(または喪女)と定義することから始まり、歴史に名を残した哲学者(及び一部の宗教者、科学者)がいかに"喪男"であったかを明らかにしながら、彼らの苦しみと彼らが生み出した(そして増幅・改悪された)哲学・宗教がいかに世間に影響を与えてきてしまったかを歴史の順番どおりに説明している。人類を代表する喪男達が数千年もかけて育んできた"哲学"を一冊で説明しよう・・・という試みは伊達ではなく、情報密度はめちゃめちゃ濃いので覚悟して読む必要はあるだろう。最近は読書フィーバーなので週に3,4冊のペースで読んでいたが、この本はこれだけに集中して3日かかった。

ハマる人であればはじめの数ページを読むだけで背中にエレクトリック・サンダーボルトが走り、その瞬間から読み終えるまで本が手放せなくなる羽目になるであろう、素晴らしいパワーに満ち溢れた本。

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ハワイイ紀行

実に味わい深い、よい本だった。
「俗っぽい観光地」として、ハワイイ(本書に倣って、あえてこの表記に従うことにしよう)には全くと言ってよいほど興味が湧いてこなかった自分にとっては、目から鱗が落ちる読書体験となった。

池澤夏樹さんと言えば、2001年の9/11直後から朝日新聞に連載していた「新世紀へようこそ」をロンドンからインターネット越しに読んでいたことを思い出す。久しぶりに本土を攻撃されたアメリカがカンカンになって世論を煽って戦争に突入しようとしていた時期だ。今思い返すと、もしこの連載に中沢新一の「緑の資本論」が紹介されていなかったとしたら(または、もっと単純にこの連載を読んでいなかったとしたら)、僕が彼の本を読むことは(少なくとも1,2年というタイムフレームでは)なかっただろうし、チベットに行くこともなかっただろう。そして、日本に戻ってから山に登るようにもならなかったかもしれない。

考えれば考えるほど因縁のある人のように思えるが、未だに彼のまとまった作品を読むことがなかった。ここで、彼の本分と思われる小説を読まずに、あえて評判のよい旅行記を選ぶあたりが自分の天の邪鬼たる由縁なのだけれど、評判に違わず素晴らしくよく書かれた「旅行記」だと感じた。

ハワイイの魅力は、池澤夏樹さんが本の最初のほうで言っているように「自然条件や文化的条件の変異が分かりやすく保存されている」という点につきるように思われる。この本には、プレートテクトニクス(こういう単語があっさり出てくるのが池澤夏樹さんのスゴイところだ)によって生まれた、小さな島々の上で繰り広げられてきた沢山のアクティビティーが丁寧に拾い上げられ、しっかりと吟味された上で本人が自分の足で出かけていって、優れた観察眼と洞察力をもって紡ぎ上げた文章がたっぷりと詰め込まれている。

一般的な日本人から見れば「南国の陽気な踊り」としか認識されていないフラ・ダンスが、文字を持たないハワイイの人たちの伝承や歴史、そして文化を伝える芸術の一形態である、なんていうのは非常によい例のうちのひとつだ。ひとつの文明がより強力な文明に呑み込まれていく時、最後までしぶとく生き延びるのは、生活に密着し、民間で育まれたささやかな文化形態であることが多い。言葉や精神がある程度まで失われてしまったとしても、そういった小さなものを丹念に辿っていくことで元々その文化が持っていた「味」や「臭い」のようなものは、大体の所まで復元することができる。

この本を読みながら、岡本太郎さんの書いた「沖縄文化論」という本を思い出した。この本にも、小さな島々に残る小さな芸術や文化的痕跡を岡本太郎さんが辿っていく様子が描かれていて、今では随分薄くなってしまった日本的文化の「原初の香り」をかぐことができる気がするのだ。

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Smoking in Bed: Conversations With Bruce Robinson

メディア露出度が極端に低いブルース・ロビンソンにインタビューした本。

若い頃の役者からはじまり、脚本家、監督家、作家・・・という様々なキャリアを通じて関わってきた作品ごとに章立てして、ブルース・ロビンソンという人物に迫っている。

予想に反して、ブルース・ロビンソンという人はとても真面目できちんとした性格であるようだ。母親とアメリカ兵との「過ち」から生まれ、義理の父親から徹底的にいじめ抜かれて育った彼は非常に賢い子どもに成長し、とても思慮深い生き方をするようつとめているように思われる。

ハンサムな若者として出演したロミオ&ジュリエットでは好色家のゼッフェレリ監督に後ろから付け狙われ、彼の役者としてのキャリアはひどいトラウマと共にスタートする。
60年代と、70年代の頭では映画「ウィズネイルと僕」に描かれているような貧困生活の中を映画の筋通り売れない役者として過ごす。
彼が小説「ウィズネイルと僕」を書いたのはこの時代だ。

元々役者としてよりは作家として生計を立てることに興味を持っていたロビンソンは、1970年代後半から1980年頃にかけて映画「キリング・フィールズ」の脚本を手がける。
この映画はニューヨークタイムスの特派員としてポル・ポト派の攻勢によって沈み行くカンボジアの首都プノンペンを取材した主人公と、彼が脱出した後、プノンペンで世話になった現地のガイド(英語を話せるインテリ階級なので、制裁の対象)が強制収容キャンプから命からがら逃げ出して、主人公と再会する・・・という筋。

興味深いのは、ロビンソンがこの二人の間に「友情」と呼べるものは一切なかった、と言い切ってしまっていること。
脚本家として、一旦完成させたスクリプトが製作者の都合のいいように変えられていき、描いたものとは異なる形で世に出てしまうという事態(というか、映画業界における「脚本家」という立場の弱さ)に彼は初めて遭遇する。
と同時に、彼はどんなにまじめな映画であったとしても、それはあくまで「物語」であり、「エンターテイメント」でしかないのだ、と非常に冷静な態度を貫いていて、そのことにとても驚かされた。

「キリング・フィールズ」の後に彼が手がけたのはマンハッタン・プロジェクトの映画化のための脚本。アインシュタインが時の大統領ルーズベルトに原爆開発の必要性を訴える手紙を書いたのは有名な話だけれど、実際にプロジェクトを走らせたレスリー・グローブ将軍なんかの話はそこまで知られていない。
「何かを調べると決めたら徹底的に調べるんだ」と言うロビンソンは、この原爆開発という人類が経験した悪魔的プロジェクトをひたすら追いかける。
結局、この脚本もまた製作者の都合で大幅に書き換えられてしまい、「自分では一回も見てないよ」という彼にとっては悲惨なキャリアとなって終わる。

1969年に書いた小説「ウィズネイルと僕」は、彼の身近でカルトな人気を持っていたらしく、読ませた友人の勧めもあって1970年代に既に脚本として完成されていたらしい。
キリング・フィールズでの脚本家としての成功もあり、不運の人ブルース・ロビンソンにもようやくこの「自分の物語」を映画化するチャンスが訪れる。元々は脚本提供だけしかしない予定だったらしいのだが、トントン拍子に話が進み、彼自身が監督となって制作に関わることになったらしい。

ウィズネイルに引き続いて彼がメガホンを取ったのは「広告業界で成功する方法」(How to Get Ahead in Advertising)という映画。
これはサッチャーによるイギリスの改造を徹底的に皮肉った映画らしいのだけれど、明らかに予算が足りていない上に映画としての煮込みが足りずに不完全燃焼な作品になってしまったようだ。

ウィズネイル・広告業界以降の彼の活動は、彼自身の子供時代を描いた小説"The Peculiar Memories of Thomas Penman"(彼曰くウィズネイルが自身の70%の自伝とするならば、ペンマンは80%だそうだ」)や、いくつかの物語の脚本、そして映画「Still Crazy」への出演など。いまでは田舎の広い家に住みながら、マイ・ペースに自分の生活を守っているようだ。

最後の章「Fuck Jesus, Give Me Shakespere」では、彼が最近思っていることを雑多にぶちまけているのだけれど、その章の名前から察するとおり彼の人生哲学のようなものを伺うことができる非常に興味深い発言に満ちあふれている。

映画「ウィズネイルと僕」を知ることでブルース・ロビンソンを知っているようなつもりになっていただのだけれど、それは大きな間違いであることに気づかされた。
とりあえず、買ったばかりになっている"The Peculiar Memories of Thomas Penman"でも暇なときに読んでみることにしようと思う。

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モンティ・パイソン正伝

やたらと分厚いパイソン本。
本人達によって語られる、生い立ち、受けた教育、パイソン以前の仕事、そしてパイソン時代からそれ以降の話。

無理やりまとめると、第二次大戦の暗い影を引きづった時代に生まれ、その影と決別する形ですくすくと成長したコメディーで人を笑わせる才能に長けた6人が集まって、面白いことをやらかすことに成功したのがモンティ・パイソンである、と言えるのだろう。

面白いことに、メンバーの中で一番身近に感じることができたのは、これまでいまひとつキャラクターを掴むことができなかったテリー・ギリアムだった。
5人の個性の強いイギリス人に囲まれて、ある意味便利屋としての仕事に徹して沢山の経験を積んだことで、彼のクリエイターとして才能が磨かれたようだ。他のパイソン達がモンティ・パイソンをやっていく中で消費されていったように感じられるのに対し、一人テリー・ギリアムだけは沢山のことを学び、それを昇華させることに成功したのではないか、と思う。

また、ジョン・クリーズやエリック・アイドルのようにモンティ・パイソンの「顔」ではなかったものの、実はモンティ・パイソンの心臓部でありグループのメンタリティーを保つ努力をし続けていたテリー・ジョーンズも面白い存在だと思う。

メンバーそれぞれが強烈な個性を持っていて、普段は別のことを考えているのにも関わらず、モンティ・パイソンという箱の中に入って考えることで途端に素晴らしいものがポンポンと生まれてくる、という現象は本当に面白い。色々な偶然が重なって、波長の合った人間が集まると、こんなにも楽しいことができるのだ。
伝える方法が何であれ、面白くてセンスのある人間はどこか通じ合うことができる、というだけの話なのだけれど・・・。

**

"Withnail and I"の製作会社である"Handmade Films"の第一作が"Life of Brian"である、というのは有名な話だけれど、創設者であるジョージ・ハリソンが立ち上げに苦労した話が出てくるのは面白い。
本当は"British Handmade Films"という名前にしようとしていたとか、"Handmade Films"のロゴはテリー・ギリアムが作ったとか、出資者に資金提供を断られて途方にくれていたパイソン達を協力するため、ジョージ・ハリソンが自宅をモルゲージに入れてまで資金を提供してくれたとか、心暖まるエピソードに溢れている。

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Rum Diary by Hunter S. Thompson

2006年度中に公開が予定されている、ブルース・ロビンソン監督&ジョニー・デップ主演の"Rum Dairy"の原作小説を読んだ。
"Fear and Roathing in Las Vegas"(ラスベガスをやっつけろ)と同じように、原作者のHunter S. Thompson自身が20代の時に生活していたカリブ海近辺での体験ベースにしている。

**

主人公のポール・ケンプはアメリカ人のジャーナリスト。
プエルトリコの首都、サン・ファンにあるアメリカ系新聞会社に雇われてやってきた。
経営の危なげな新聞社"San Juan Daily News"は、ジャーナリズムに夢を持っている編集長の元に次々と集まってくる怪しげな新顔や、トラブルを起こしては去っていく不良欧米人の掃き溜め。
何に対してもペシミスティックな同僚や、喧嘩っ早いトラブルメイカーの同僚やらに囲まれて、ポールの新しい生活が始まるのだが、まだ新しい土地になじむことができない。
昼から夕方までの仕事を終えて向かうのは"Al's"。ビールかラムを飲みながらくだらない時間を過ごすのには最適の場所だ。
そんな毎日に嫌気がさして、自分のアパートを借りて、自分の車を買うことを決意するポールだったが・・・・。

**

流れ者としての毎日をだらだらと生きている1人の人間の視点から、とても多くのことが語られている物話だ。

自分以外の流れ者の生き様や、貧乏な現地民の姿。
真っ当に事実と向き合うことで生まれる「ジャーナリズムの本質」。
人について働くことの空しさや、自分の力ではどうにもならないこと。
そして掴もうとした途端になくなってしまう大事なもののこと・・・。

物語を通して感じられるのは、主人公ポール・ケンプの"Self consciousness"ともいうべきはっきりとした自己認識だ。
客観的に考えて非常によろしくな状況の中でも、酔っぱらっいが無意識の足取りで家に辿り着くような、そんな彼の自己意識の強さが文章に強く現れている。
そしてこれこそまさに、ハンター・トンプソンが"Gonzo Journalism"と呼んだものに他ならないのだろう。

そんな流れるままに生きるようにしている彼にとっても、嫌悪すべき瞬間や、それに続くみすぼらしい終わりはいつかやってくる・・・。

**

ジョニー・デップが原作者のハンター・トンプソンと旧知の仲であったことは知られている。そんな彼がこの物語を映画化しようとして思い出したのは、きっと彼が「一番好き」と言う映画「ウィズネイルと僕」と、その原作者であり監督であり、ハンター・トンプソンと同じように物語の中に描かれている現実を生きたブルース・ロビンソンだったに違いない。

「ウィズネイルと僕」は若くて売れない俳優が貧乏生活のどん底で転げ回る様子を描いた作品で、"Rum Diary"との共通点が多い。
この映画に関しては個人的にすごい思い入れがあって、解説ページを作ったことがあるので詳細はそちらで読んでいただきたい。

「ウィズネイルと僕」では、60年代のサイケデリックでアルコホリックな雰囲気がイギリスの薄暗い光を通して描かれたわけだけれど、"Rum Diary"ではカリブ海の明るい光を通して描かれるわけだ。

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16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号

アイルランドの女の子が学業のコンテストで暗号学の発表をやったのを皮切りに、独自の公開鍵暗号の開発・実装まで手を広げ・・・という物語。

セアラの家庭環境はいかにもアイルランド風でのんびりしている。
お父さんは数学の先生、お母さんは微生物学の先生として大学で教えていて、5人兄弟の7人家族は農場の真ん中にある農家で暮らしていて・・・という具合だ。

子供時代に父から出されたクイズの話や、物事の本質を見極める才能に長けた母親のエピソードはとても印象的。
トランジションイヤー(中学から高校の間に1年間好きなことができる制度)を取ったセアラはお父さんが開いていた大学での夜間講座「数学への旅」に出席し、そこで数学の面白さを存分に知る。

セアラがコンテストで活躍し、ロン・リヴェスト(世界で初めて実用化された公開鍵暗号のRSAはMITの3人の科学者の頭文字を取ったもので、そのうちの"R"の人)から電話がかかってくるくだりや、一躍時の人になってしまった彼女の興奮ぶりが読み取れる文章はとにかく熱い。

**

数学が好きな人にたまらなく面白い読み物だと思う。
本の中で幾度となく触れられるサイモン・シンの「暗号解読」と「フェルマーの最終定理」が好きな人ならきっと夜を徹して読みふけってしまうことだろう。

ちなみに英語圏では"Sara"を日本風に「サラ」と読み、"Sarah"は「セイラ」と読む。後者には少しだけ“ア”の発音が真ん中に入るので、「セアラ」も間違ってはいないと思うけど、個人的には少し違和感を感じた。

一応、セキュリティーエンジニアの端くれなので諸々の暗号系を組み合わせてオレオレ認証プロトコルなんかの設計や実装をしたことがあるのだけれど、自分のプロトコルの安全性のレビューはとてつもなく大変。
攻撃者の立場に立ってかなりネチネチ&コチコチしたことを考える必要があるし、そういうのが得意な人じゃないと向かない世界だと思う。

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パンドラの時代と新しいメディア生活の時代

blog::TIAOで、大アジア思想活劇が紹介されてた。
なかなか面白そう。
だけどHTMLだけで読み進むのは疲れるよぅ・・・。

と、青空文庫に特化された青空文庫最適ビュワー「azur(アジュール)」なるものが開発中らしい。

個人的に、今のパソコンで長い文章を読むのは苦行でしかないと感じているので、こういった動きは基本的にすごい歓迎。
ただ、最近 Image Station でお気に入りの写真をしっかりとプリントアウトしてもらってじっくり見ていたら、自分の中でアナログ v.s. デジタルの勝負があっさりついてしまった。
結局人間ってまだアナログなデバイスのほうがしっくりくるし、よほどデジタルな鑑賞デバイスに革命でも起きない限りは、”読書する環境”が大きく変わることはなさそうだなぁ・・・と。
少なくとも、現在我々が手にしている読書環境よりも劣る環境に甘んじることは、まずなさそうだな、というのは堅いのではないでしょうか?
これって人間が古いのかなぁ?

で、考えてみたらもう3年近く使っていることに気づいて(近頃の自分の物欲の無さに)唖然とした Visor Edge で、モバイルな読書環境を作ろうとして失敗していたことを思い出した。

Crs-MeDocを使って、夏目漱石の私の個人主義や、森鴎外の高瀬舟を読んだ覚えがある。

懐かしいなぁ・・・とその界隈のモバイル環境を調べてみたら、相変わらず Voyager 社の孤軍奮闘的な状態が続いているようだ。

大学の最後の年に読んだ、池沢夏樹さんの新世紀へようこそが Voyager 社のフォーマットでフリーで入手できるようだ。
朝日新聞で連載していたと思っていたのだけど、ある時期を境に突然過去ログも含めてどこかに消えてしまっていて、続いていたのがとても嬉しい。

今ではパンドラの時代 The Age of Pandoraという名の Weblog として続いているようだ。

Voyager社の個人出版 TTZを作ろうというサービスがあるのだけれど、最終的な紙メディアまで面倒見るところまでやらないと、現代のアナログ人間達の欲求には答えられないのかなぁ、と感じた。

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