第6回 亀治郎の会
「第6回・亀治郎の会」を見に国立劇場へ。
いつも亀治郎さんらしいチャレンジで楽しませてくれる「亀治郎の会」なのだけど、忙しかった昨年スキップした分(?)、今年はパワーアップして大劇場への進出を果たしている。そのせいか、演目にも力が入っていて、亀治郎さんらしさとは少し違った役柄であるように思われる「俊寛」、それに女形の踊りの最高峰「娘道成寺」の二本立て。
前々から開催は知っていたものの、山登りの計画&テニスの試合と被ってしまっていた関係でチケットを取らずにいたところ、しばらくしてチケットが完売。
山登りの先延ばしが確定になり、「この演目を逃すのは惜しい」とテニスの試合よりこっちを優先することにし(コラ)、おけぴを利用して一等席のチケットを入手(2階の5列目の真ん中へん)。
で、今日も例によって客層のほとんど(90%)が女性。
中高年も多いけど、結構若い人も多い。亀治郎さん目当てで来てるお客さんだから、歌舞伎座や演舞場とはまた客層が違っていてなかなか面白い。間違いなく、亀治郎さんは歌舞伎の世界に沢山の人を誘うことに成功しているように感じる。
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「俊寛」は、恩赦を伝える書状を手にとっての「ない、ない、ないないないないない・・・」の台詞に万感の思いが詰まっていて、こちらまで泣きそうになってしまった。こんなに熱い演技なのに、その後もこれ以上に熱い演技が続く。
餓鬼道に落ちて、というよりも半ば狂人のようになって船を見送るラストシーンの姿は、「悲しさ」とか「寂しさ」といった感情をひっくるめた実に「人間らしさ」を持った俊寛の姿を描くことに成功していたと思う。
親子でにらみ合いをするシーンは楽しかったけど、やりすぎ感は否めないかも。
俊寛って、いつもヨボヨボのじいさんみたいな姿で出てくるから60過ぎとかだと思ってたのだけど、意外にも原作では30代とかなのね。あんなひどいとこに3年も住んでたから急激にフケちゃったのですかね。
船が下手が出てくるのは澤瀉屋の形なのだそう。
蔓に掴まって岩山に登る演出は、猿之助さんも前にやっていたことがあったのだそうな。また、別れのシーンで「未来で」と言い交わすのは、前進座の翫右衛門丈がはじめた形とのこと。
翫右衛門というと、山中貞雄さんの映画の印象が強いけれど、本業の歌舞伎でも新しい試みをたくさんやった人らしい。
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「娘道成寺」は、導入部分の「見たか聞いたか」を端折って「亀治郎に始まり、亀治郎に終わる」という感じの演出。浅い位置の背景画が開いて、花子が道成寺に向かうことが強調されるシーンはなかなか新鮮でよかった。
玉三郎さんのような色気はさすがにないけれど、これまで見知っていた亀治郎さんらしいどこか笑いを誘うような女形(e.g. パルコ歌舞伎の堀部ほり)とは異なり、簡単には触れることのできないような、見ているものに畏怖を覚えさせるような花子を見事に演じていた。
最後の鐘の上のシーンはオリジナルの演出なのでしょうかね。
あそこまで派手にやっちゃうことには賛否両論ありそうだけど、まぁ一種の物の怪なわけだし。あれはあれでよいのではないかと思った。
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亀治郎さんの舞台を見ていていつも感心するのは、彼が「分かりやすさ」と「面白さ」というもののバランスを強く意識して芝居を組み立てているなぁ、ということ。
今回それを一番強く感じたのは、「娘道成寺」の踊りで何度も何度も(しつこいくらい)鐘を見上げて、鐘への執着ぶりを強調していたこと。仮に「道成寺」のことを全く知らない人が見ても、冒頭の坊主との会話、それに花子のあの鐘に対する態度によって何かを感じ、踊りのダイナミズムをより深く楽しむことができるように仕向けていたように思う。
日常のすぐ近くに芝居があり、落語があり・・・という時代から、僕たちはまだ半世紀も離れていない。それなのに、今の僕たちの世代にとって、歌舞伎やその他の演芸はほとんど縁のないものになろうとしている。
そこに当たり前のように存在している時代のコンテキストこそ、こういった演芸を身近に繋ぎとめている見えない「手」だ。
最も身近にあるものこそ、最も先に失われてしまう。
歌舞伎にせよ文楽にせよ、こういった素養を持っていないと分からないことだらけになってしまって、どんどん「難しいもの」として遠ざけられてしまう。
でも、「歌舞伎」は「傾く」が語源とされるくらい、決まりきった形式や、厳密な決まりごとに捉われない自由さを持っている。この自由さゆえにこそ、こういった時代性から切り離されてもある程度大丈夫なタフさを備えているのではないだろうか。
亀治郎さんは、そのことをよく分かった上で、歌舞伎を上手にぶっ壊しながら、美味しいところを選び出して、極上の舞台を演出する努力を続けているのだなぁ、ということを感じた。