穂高岳池巡り・ルートメモ

2009年のシルバーウィークは、穂高岳の池巡りへ行ってきた。

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1日目: 上高地~奥又白池~五・六のコル~涸沢
2日目: 涸沢~北穂東稜~北穂池~A沢のコル~北穂~涸沢岳~涸沢
3日目: 涸沢~本谷橋~横尾本谷・右俣~横尾尾根のコル~天狗池~殺生ヒュッテ
4日目: 殺生ヒュッテ~槍往復~徳沢園

・・・という行程。
詳細なレポートはこちら

はじめの三日間の行動は、主に道なき道を行くバリエーションルートだったので、GPSのログと写真を活用して、思い出せる限りの記憶を頼りに辿ったルートをメモ。

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(フルバージョンのGPSログは、こちら)

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1日目。
徳沢を過ぎて新村橋を渡り、林道を歩いてパノラマルートへ向かう登山路を辿る。ある程度高度を上げると奥又白谷を渡る地点で奥又白池に向かう分岐にぶつかるので、ここで松高ルンゼの脇から小尾根に乗って高度を上げていく。

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(小尾根の入口。すぐ脇にプレートがある。「君、永遠に雄々しかれ」)

木登り的、藪漕ぎ的要素の強い登りだけど、トレースは明瞭で危険な個所もない。開けた場所に出ると、北尾根がよく観察できる。野イチゴ畑の中をしばらく進み、五・六のコルに向かう分岐をパスして直進。

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(真ん中上のピークが六峰。正面のガレ沢の右側の小尾根を詰めると五・六のコル)

ここまで来れば、奥又白池は目と鼻の先。
池は素晴らしく居心地のよい場所で、一時期汚れていたという水もきれいで透き通っている。

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(奥又白池から見える前穂と北尾根)

池から五・六のコルに向かう道は、それなりにトリッキー。
ガスってる時はルートファインディングに苦労する可能性が高く、岩場に慣れていないと落石や滑落の危険があるので注意が必要。

まずは、池に来るときにパスした分岐を折れて野イチゴ畑の中をトラヴァースしていく。これまでの道よりもトレースは細い。途中、4峰か5峰に向かう分岐があるので、無視してそのままトラヴァースしていくと、ガレ場に向けて一気に下る箇所がある。この下り区間は、浮き石が多くて斜度もあるので注意が必要。

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(五・六のコルに向かう小尾根から池~ガレ場のルートを概観。トレースが微かに見える。)

ガレ場ではマークが確認できなかったので、高度を一定に保ちながらトラヴァース。ガレガレではあるけれど、岩の踏み方に気をつければそこまで危険ではない。

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(ガレ場のトラヴァース地点)

ガレ場を渡りきった先で草つきを越え、もうひとつの細いガレ場を渡る。渡ったところにある岩の脇にあるトレースを頼りに、草つきの斜面をトラヴァースしていくと、再度ガレ場に出る。

このガレ場の向いにある支尾根に乗りたいので、ガレ場を渡ってルートを探す。渡ってすぐの岩の脇にもトレースが認められたのだけど、ガレ場を直登するマークがあったので、15-20mほどガレ場を登ってからトレースを頼りに支尾根に取り付く。

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(ガレ場を渡ってすぐの岩。あとから写真を見る限りだと、ここから支尾根に乗っても大丈夫だった模様)

支尾根に乗ってしばらく行くと、足場・ホールド共に少ないしょっぱい箇所がある。これは左側の草つきに逃れるのが正解で、最後の一手にはお助け紐がある。ここを越えると一気に見通しが開ける。

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あとは尾根上のトレースを詰めていき、ちょっとだけおっかないトラヴァースを越えてガレ場を登っていけば五・六のコルに出る。

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(五・六のコル手前のイヤなトラバース)

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2日目。
涸沢から北穂東稜に行くには、南稜方面に向かう一般路を登っていき、一般路がガレ場から左に折れて南稜に向かうところで右側に折れる。

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(南陵に向かうルートから右にそれてすぐのガレ場。正面に見えるのがY字雪渓・右俣)

トラヴァース気味にガレ場を渡り、Y字雪渓・右俣の右岸に沿って登っていく。浮き石が多く足場が不安定なので、登行していく際には落石に注意したい。

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(ガレ場の登行。落石注意。)

東稜のコルに出たら、そのまま広くなった尾根を北向きに進む。2814mの肩のあたりからは北穂池が下方に確認できる。肩の切れ口を東側に向かって偵察すると、大岩の上にケルンが積んであり、その先にマークと下り口がある。

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(2814mの肩からの下り口の脇に積んであったケルン)

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(2814mの肩からの池へと向かう下り口)

トレースはそこそこ明瞭ではあるものの、岩場ではトレースを見失いがちなので、注意深くマークを探し、それを頼りに下っていく。ルート自体の難易度は一般路に毛が生えた程度。

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(さりげないマークが多い)

2,3回小さな尾根を左側に乗越しながら下っていくと、ガレ場に出る。もう池は下に見えているので、あとは池に向かって下っていくだけ。

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(見通しのあるガレ場に出たら、あとは下るだけ)

東稜から素直に下っていって、はじめに出くわすのが一の池。
二の池方面に向かうには、一旦南西方面のガレ場を登り、途中からトレースを頼りに草つきの斜面を越えていく。うまく辿ることができれば遭難碑の脇を通って二の池、三の池周辺に出られる。

P9201661
(北穂周辺から池の台地を俯瞰。池の向こう側は本谷・左俣に向かって切れ落ちている)

オリジナルの計画では、ここから本谷・左俣に抜けるルートを探して下降する予定だったので、雪田の脇を歩いて野イチゴ畑の先のブッシュを偵察。

雪田から溶けだした水がチロチロと流れている箇所があったので、恐らくこれが北穂滝の水源となっているのだろう。

P9201643
(雪田からの流れ出る水)

(恐らく)向かうべきであろう斜面は、ナナカマドの灌木帯。進もうと思えば進めそうだけど、トレースもなければ無事に下れる保証もないので、A沢のコルへの転進を決意。ザイルを持って飛び込むか、あるいは本谷・左俣から登ってルートを確認しないと駄目ですな。

P9201644
(本谷・左俣へと下るルートを偵察するも、ブッシュに阻まれる)

雪田のある台地を離れて、A沢のコルに向けてのガレ場登り。草つきの脇をかすめて、落石に気をつけながら高度を稼ぐ。登り切ったところは広い尾根状になっていて、長谷川ピークがよく見える。

ここから先は、トラヴァース気味に進んで前方に見える灌木帯を越える必要がある。ハイマツとブッシュの生え際を攻めたところ、ちょうどよい具合に踏まれていたので藪漕ぎはほとんどせずに灌木帯をクリアー。出口にはペンキマークまであった。

P9201652
(広い尾根状から長谷川ピーク方面。正面のハイマツとブッシュの生え際を目指してガレ場をトラヴァース)

あとはガレ場を注意しながらトラヴァースしていけばA沢のコルに出られる。

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3日目。
本谷橋から沢に沿って上流へ向かう。
はじめは大きな岩を飛び跳ねたりしていくが、次第に左岸側の今にも消えてしまいそうなトレースが拾えるようになる。

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(はじめは沢沿いの巻き道がないので、岩の上をぴょんぴょん跳ねていく)

このトレースは昔から歩かれているもののようなのだけど、木や草に邪魔されて歩きにくくなってしまっている。沢靴を持っているパーティーであれば、そのまま水際を歩いて行ってしまったほうが効率がよいかも知れない。ただし、このあたりの岩はただ濡れているだけのように見えて凄く滑りやすいので、注意が必要。

左岸側のトレースは、ところどころ必要以上に高巻きしている印象。うっとうしい草をかき分けていくのにウンザリしながら進んでいくと、右俣と左俣が分かれる二俣に出る。

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(二俣から右俣上部を見る)

すぐに出てくる小滝は右岸側から越えて、またすぐに出てくる滝は左岸側からお助けロープを使ってクリアー。多少アクロバティックな体勢で越える必要がある。

このあたりから斜度が上がってくるので、歩きやすそうな所を適当に選んで高度を稼いでいく。ギュギュッと斜度がきつくなった箇所を乗り越えると、目の前の視界が開ける。ここで一旦急な登りからは開放される。

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(本谷・右俣のカール(通称“黄金平”)の端に到着。視界が開ける)

ここから先は、横尾尾根の最低コルを目指す。
直接コル方向に進むとブッシュにぶつかってしまうので、沢の左岸側のトレースを拾い、左側から回り込む形でブッシュをクリアーしていく。

ブッシュを越えた先は野生のブル-ベリー畑。前方にはモレーンと雪田があるので、微かなトレースを頼りにコルに向かって直進。ブッシュを越えた先に、右側から回り込んでモレーンは迂回するトレースがあったので、恐らくこれを拾った方が素直に行けたのではないかと思う。

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(モレーンと雪田と目指すべきコルが見える)

モレーンが尽きたあたりに目印になる大岩がある。
コルに直登するルートは悪いようなので、左側から回り込むルートを選択。ガレ場の登りになると、浮き石が多くて足場が悪いので注意深く進む。

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(ガレガレの急斜面で足場は悪い)

コルへの直登ルートとの間には、島状のブッシュ帯が二つある。高度を稼ぎ、二つ目のブッシュ帯の上に抜けたあたりから右側にトラヴァースして行くと、トレースが拾えるのでこれに乗って進んでいく。

大岩とハイマツが混じった箇所に出たら、コルまでトラヴァースすることは考えずに直登ルートを選択し、しばらく登っていくと東稜の縦走路に出る。

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(ここまで来れば一般ルートは目前。)

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参考にさせていただいた資料は以下。

今回の池巡り計画のベースとさせていただいたのがこちらの記事。
http://isla.cocolog-nifty.com/mountain/2008/09/2-1-2-3-4.html

奥又白池、五・六のコル周辺に関してはこのあたりの記事が参考になった。
http://buna-pow.com/2005/hotaka/hotaka2005.html

北穂池に関しては、すうじいさんの記録が役に立った。
http://www.interq.or.jp/world/suji/mr293map.html
http://yamanashi3.hp.infoseek.co.jp/mr626.html

本谷・右俣に関しては、南岳小屋の方が書いている記事が充実している。
http://www.mcci.or.jp/www/minamidake/course-5.htm

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夏の丹沢はヒルにご用心

先週末の日曜日は、友人6名と一緒に丹沢の早戸大滝を見に山遊び。
早戸大滝は、「日本の滝百選」に数えられながらも、滝の一部が巨大な岩盤で隠されていることと、アプローチの難しさによって、「幻の滝」の異名を持つ面白スポット。

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腐りかけの桟道や、しょっぱいヘツリ、丸木橋渡り、岩の間をジャンプしての渡渉を繰り返し、ロッククライミングじみた巻き道をクリアーして辿り着いた滝壺からは、落差50mの滝が直上から落ちてくるような感覚を楽しむことができた。

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簡単な攻略法をまとめておくと、以下のような感じ。

- 国際マス釣り場の先のゲートさえ開いていれば、普通車で「魚留橋」の手前まで行ける
- 足並みのそろったパーティーであれば、3時間もかからずに往復できる
- 雷平までの早戸川沿いの道のりは、丸木橋が流されていなければ、ここ数年の間に足場が崩壊してしまったヘツリ一箇所を除いてこれといった危険個所や迷うところもない
- 雷平から先、大滝までの道のりは、ひたすら沢沿いを歩く。
- 淵に行き当たって通行不能になる前に、渡渉ポイントを探して反対岸に渡る。
- 渡渉は、恐らく7回(5回かも(?))。
- ところどころにケルンが積んであり、テープも豊富なので、沢から離れずに行けばまぁ迷うことはないはず。
- 滝壺に行く巻き道は、登り出しが少しいやらしいのと、三段目の滝の上部を通過するので注意が必要。

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詳しいレポートはこちらにあるので、興味のある人はどうぞ。
尚、危険箇所があり、ある程度土地勘がないと迷いやすいルートなので、何が起きても責任は持てません。

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天気にもパーティーにも恵まれて、朝から晩まで充実した一日となった・・・のだけど、一点だけ悔しい思いをした。それは・・・ヒルに血を吸われてしまったこと。

丹沢のヒルというと、西丹沢にしかいないイメージだったのだけど、実は東丹沢のこのエリア(宮ヶ瀬湖近辺)にも大量にいるようだ。まぁ、「蛭が岳」なんていかにもな名前の山がある山域だから、いないほうが不思議なのだけれど・・・。
主な活動時期は6月から8月で、湿った落ち葉が積もったような登山道沿いで待ちかまえているそうな。

今回は、沢にジャボジャボ入っても大丈夫なように、とKeenのNewportを装備して出かけたのだけど、これが完全に裏目に出た(ヒルさえいなければ、このルートを攻略するのにベストなチョイスだと思う・・・)。

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自分は右足を二箇所(ちょうどサンダルで隠れてるところ)をやられ、同じようなサンダルをはいていたMちゃんも一箇所やらてしまった模様。この時期のヒルはまだ最盛期ではないので、こういった「隙」をみせていなかった他のメンバーはやられずに済んだようだ。

血を吸われてる最中は痛みがなく、吸血後は血がけっこう出るのでしばらくすると気付く。
血液の凝固を防ぐ成分を分泌するらしく、絆創膏とかでしっかり押さえつけないといつまで立っても血が止まらないのがイヤラシイ。今回は、約3,4時間後くらいしてようやく出血が止まった。

というわけで、丹沢のこのエリアに行く人はヒルにご用心。
危なそうなエリアで立ち止まったり、足回りを露出することを極力避けるようにすれば、そう簡単にやられることはないでしょう。多分。

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へっころ谷 / 自転車漬けの週末 その1

土曜日は、先週一緒に山に登った友達が入り浸っているという、藤沢・湘南台のあたりにある「へっころ谷」というほうとう屋さんへ自転車で遊びに行ってみた。

行きも帰りも246と境川を利用したのだけど、昼近くになると246は混むので走りにくくて困る。今日はピカピカの快晴で、半袖ジャージに半ズボンでもよいのでは、と思えるほどに暖かい。

Dscf0041_210時発で12時頃に到着。
「へっころ谷」とは(恐らく山梨の)方言で「へんぴな場所」という意味なのだそう。古民家を改修したという、どこか懐かしさが漂う佇まいの中に、時間がゆっくり流れるようなのんびりとした空間があって、ひと目で気に入ってしまった。

サイドディッシュが充実した、栄養たっぷりなほうとう定食を平らげて、広い駐車場の片隅で日向ぼっこをしながら友達とお喋りをしたりしてのんびり。結局、へっころ谷周辺で2時間以上も長居してから重い腰を上げて帰途についた。

走行距離: 93.4km
走行時間: 3:31
平均速度: 26.6km/h
平均心拍: 152
GPSのログ

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ザンスカールという場所

今年の大きな目標として、「ザンスカールに行く」というのがある。

ザンスカールとは、インド北部の嶮しい山岳地帯で、(中国の侵略によって)チベット自治区内では失われつつあるチベット文化が今なお色濃く残っている場所だ。
2年くらい前、友達がザンスカールを旅したときの映像を見せてもらって、その時以来、ずぅ~っと行こうと思い続けている。

旅の目的地は、プクタル・ゴンパ
ただでさえ辺鄙なザンスカール地方の中でも、さらに歩きか馬でしか辿り着けない辺境で、今回の計画では5,000mクラスの峠を歩きで突破しようと思っている。

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情報収集していて偶然見つけたブログ、"Days in Ladakh"がなかなか素晴らしくって、よく覗かせていただいている。

特に、現在進行形で掲載されている「チャダル」の旅は、冬の間は氷で閉ざされてしまうザンスカール地方と、外の世界とが繋がる唯一の道である「凍った川」を行き来するもので、日本では「氷の回廊」という本(もともとはNHKの特番)でも知られている。

氷の回廊―ヒマラヤの星降る村の物語
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おすすめ平均
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びっくりしたのが、「炊事用のストーブとテントを持っていかない」という潔い装備。
山登りでもエンジニアの仕事でも何でも、その道に詳しくなればなるほど道具に対するこだわりみたいなものから開放されるように思うのだけれど、厳冬期のアウトドア生活でストーブとテントを持っていかない、という判断は普通に考えて凄い。
豪雪地方のマタギが冬に何ヶ月も山に籠もるときに、「マッチと塩とちょっとしたものだけしか持っていかない」という話に共通するものを感じた。

現代人のやってることって、何もかもスポイルされているのネ・・・、と、ため息をついた。

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廃墟の魅力について

「古道巡礼」という本を読んだ。


Title: 古道巡礼
Author: 高桑 信一
Price: ¥ 2,100
Publisher: 東京新聞出版局
Published Date: 2005/01

近代化とモータライゼーションによって滅んでしまった、「人」によって歩かれた「径」を巡る旅の本だ。開かれた平地にそういった道が保存されることは期待できないので、自然と著者による「古道」を巡る旅は、険しい山の中に分け入ったものが主になってくる。

古来より、近隣の村人や旅人、行商人や旅芸人が越えてきた峠。最盛期には小学校や郵便局まであったのに、今ではその痕跡を探すことさえ難しくなっているような山師達の村。つい数十年前まで、山菜やきのこを採るために使われていた、地元の人たちの径。
時間の流れの中で、作られ、知らされ、踏み固められ、壊され・・・といったプロセスを経て、今また静かに時間の流れの中に還っていこうとする、貴重な人類の遺産だ。

**

人はなぜ「廃墟」(=亡くなってしまった生活の跡)に魅せられるのだろうか。

村上春樹に言わせると「死んだ人間が書いた作品は許せる」ということになるわけだけれど、確かに、自分の知らない人たちが遙か昔に作り上げたものが時間の経過に沿って、大地の中へと戻っていく、という過程にはなんともいえない哀愁が漂っている。それがいかに大きな努力によって作られたものか、そしてそれがいかに沢山の人たちの生活を支えていたか、といったことが現代に生きる我々に語りかけてきて、想像を逞しくするのだ。

Dscf1250僕が始めて「廃墟」のようなものに興味を持ったのは、屋久島での登山の折りに通りかかった小杉谷の集落の跡だ。淀川の登山口から縦走し、宮之浦岳を越え、縄文杉のある森から下る途中で、沢沿いのトロッコ道を歩いた。トロッコの線路はまだ生きていて、今では森林管理のために使われていると聞いた。
小杉谷を左岸から右岸に渡る立派な橋の少し手前で休憩した折り、目の前に広がっていた不思議な空間が目に映った。すぐ脇にあった案内板によれば、なんとこの空間は小学校の運動場であり、その奥には最盛期に500人以上の人が住んでいたという小杉谷の集落があったというのである。

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「こんなところで生活していた人がいたのだ」という静かな興奮を覚えると同時に、険しい自然と闘いながら、山の中での生活を営んだ勇敢な人たちのことを思った。
昭和45年(1970)頃になって、高度経済成長の煽りで集落の人口は急激に減少し始める。若者は割のよい仕事を見つけに山を下り、輸入木材に押されて競争力のなくなりつつあった屋久杉の伐採事業は、歴史の表舞台から姿を消したのだろう。人の手によって切り開かれたこの場所は、たった数十年という時間によって、微かな形跡だけを残して自然に還ろうとしているのだった。

静かに往事の姿を忍ばせる小杉谷の集落跡は、確かに僕の心を強く掴んだ。人が生きた証であると同時に、人が挑戦した証でもある大いなる遺物は、その本来の役目を終えて静かに語りかけてくる時にこそ、その存在を最も強くアピールするのではないか、と思った。
実に廃墟の魅力とは、人の逞しさの痕跡に接してそれを感じ、憧れ、思いを馳せることなのかもしれない。

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日本に残る「廃墟」の中でも最も有名なものに端島がある。軍艦島と呼ばれたこの島は、長崎市の沖に浮かぶ石炭採掘のための埋め立て島で、最盛期には5000人もの人が住み着き、世界一の人口密度を誇った。
現在島は長崎市の所有となっており、「老朽化した建物が危険である」という理由により上陸は禁止されているものの、一部の物好きな人たちが訪れてウェブには沢山の記録が残っている。長崎市は、2007年度中に整備を行って島の一部を公開するように動いているらしいので、近くカジュアルな観光目的でこの島を訪れることができる日も来るのかも知れない。

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山の楽しみ

まず最初に断っておきたいのは、これはあくまで僕個人の考え方である、ということだ。別に誰かの考え方が間違っていると言いたいわけでもないし、「俺の言うことを聞け」なんて押しつけるつもりもない。

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山は素晴らしい。
晴れた日に展望の良いところに行けば、圧倒的に素晴らしい風景を楽しめるし、人のいない雪山に入れば都会では絶対に味わえない空間的な自由を楽しめる。

と同時に、山はしんどい。
展望のない登りを延々と登ることや、疲れた体で幕営地に辿り着いてから食事の支度をすること、それに朝猛烈に眠いのを我慢しながら起きること・・・。これらは、そもそも山に行かなければはじめから体験しなくてよかったことだ。

それでも、山は楽しい。
「山に行く」という選択をしたことによって課される不自由さや苦労は、「山に来た」ことによって得られる充足感や感動によって補われて余りあると思うからだ。

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山はトータルに楽しむことができるのがよい。
計画や訓練に何ヶ月も費やして難しい山に登ることもできるし、晴れた日曜日に近くの山に登ることもできる。
コースタイムよりも速く歩けたことを自慢することもできるし、コースの途中でゆったりお茶を楽しむこともできる。
「山」はあくまで動かない対象でしかなくて、楽しみ方は主観である個人個人に任されているのだ。

だから、個人個人にとっての「山体験」は、みなそれぞれ異なるものであって、「何が正しい」とか「何が偉い」とかそういう尺度で測るものではないと思う。

とはいっても僕を含むほとんどの人は面倒くさがりで、それなりに明確な目標や凝縮された理由付けがないと山に入らなくなってしまう。
そんなときに、例えば「100名山」なんていう素敵なキーワードを持ち出すのは有効だと思うし、「新しい道具を買ったから」とかそういう理由で山行計画を立てるのは効果的だ。

ただ、その動機付けや理由付けはあくまで個人個人が持つものであって、「集団として共有するべきもの」として認識すべきでは絶対にないと思う。
山と人との関係は、イスラム教のタウヒードのように1対1だと思うし、それが一番自然な形だと僕は感じているからだ。

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山と人との関係の中に、絶対的なものは何もない。
あるとすれば、それは怒り狂う山のとばっちりを受けて、人がその命を落とすときくらいのものだ。

山にはピークもあれば盆地もあるし、稜線もあれば沢もある。
岩登りの楽しみもあれば、幕営して鍋をする楽しみもある。

無限に広がる可能性を遥か彼方に望んでは夢を膨らませ、自分が残してきたトレイルを振り返っては記憶に胸を熱くする。

自分と山との関係が、いつまでもそんなものであるとよいなと思う。

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・・・というわけで、9月末の週末には北アルプス・前穂高岳の北尾根に行って来た。
金曜日は仕事を休み、木曜日の夜のバスで金曜日の朝に上高地入り。その日はパノラマコースを通って涸沢ヒュッテに入り、土曜日の朝に5・6のコルから前穂高山頂を目指して無事登頂。そのまま上高地まで下りて一泊して帰ってきた。
天気にも恵まれ、素晴らしい山行となった。

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Seitengrat

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モルゲンロートに染まるザイテングラート (涸沢から穂高岳山荘に通じる道。真ん中のピークは涸沢岳)

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Maehodaka

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重太郎新道から見上げる前穂高

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アフリカの料理長

バスに乗って、アフリカの中心部に行く夢を見た。

なぜだか少しアジアな雰囲気のする東京からバスが出ている。
僕が英語で話しかけて、うろちょろしていると、上半身裸の運転手がこんなことをいう。

「大丈夫ですよ、ちゃんと高速道路も使いますし。第一、途中でバスがエンコしたって、他のバスに乗られたら損するのは俺ですものね。置いてけぼりなんかにはしませんよ。」

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日本人のバックパッカー風の女の子がフランス語を話してバスの行く先を確認する。

「かわいいねぇ」
「ああ、なんで旅なんてするんだろうね」
「ねぇ、なんで日本人は黒人の男を相手にしてくれないのかな」
「さぁね。やっぱり明らかに違う人種には慣れないんじゃないかな?特に日本人は」

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バスはアフリカに着く。
そこで僕が泊り込んだのは「料理長」の家。
「料理長」の悪い癖はまるで人を猿のように殺すことだ。

ある日、思い立って僕は隣の町にでかけて、そこからまたバスに乗って日本に帰る。

そんな夢だった。

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富士山登頂

週末に富士山に登ってみた。

金曜日に仕事を休んで朝早くに集合。
須走登山口から登り始めて4時頃には山頂に着いた。
そのまま山頂の小屋に泊ってご来光を拝み、お鉢巡りをしてから下山し、土曜日の午前中に車にたどり着く、という計画。

はじめは富士山独特の樹林帯の登りで、途中からは単調な砂利道が山頂まで続く。
体力的には対して厳しいとは思えないのだけれど、8合目を過ぎたあたりから高山病の各種症状(頭痛、動悸)が現れ始めてペースを上げることはできなかった。

会社の山岳部として行ったのだけど、リーダーが「スイカを持って登る」というので少し荷物を僕が持って、他のメンバーには知らせずに行き、山頂で美味しいスイカにありついた。
山頂までブルードーザー道が続いていて物資の輸送はそれなりに可能なようなのだけれど、水分はとても貴重。
ペットボトルが6合目を過ぎてから一律500円なのが微笑ましい。

5時過ぎに夕食のカレーを食べて、火口の周りをブラブラ。
7時の消灯前に布団に潜り込んで眠ってしまった。

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10時頃、トイレに行くために起きて外に出たらとんでもなくきれいな星空がひろがっている。
自販機があまりに明るすぎるのがとても残念。

3時過ぎに電気がついて、小屋は休憩所に早変わりする。
軽く食事をして、ご来光を拝む場所を確保するため外へ。
風があってなかなか寒いので雨具の上を着込む。

下を見下ろすと、沢山の光が登山道を登ってくる。
これが噂の「大名行列」らしい。

刻一刻とご来光の時間は近づいてくる。
赤かった東の空が白くなりはじめた4時40分過ぎにひょっこりと太陽が姿を現した。

2004_07_24_fuji_goraikou_big.jpg

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ご来光と同時に人でいっぱいの富士山頂に「君が代」が流れる。
そして太陽が昇ってしまうとそこはまた完全な俗世界へと戻っていく・・・。

国土地理院の公式な資料として、日本に存在するピーク(山頂)のトップ5つまでが富士山頂に存在する。
山岳部のプライドとして、お鉢巡りと同時にこれら全てのピークに登ることにした。

2004_07_24_fuji_kengamine.jpg

富士山登山の楽しさはこのお鉢巡りにあるのではないか、と思える。
あまりに特異な自然と、雲海を見下ろす雄大な景色。

日本第2のピークである白山岳は我々のパーティー以外に登る人がまったくいない。
八ヶ岳連峰や南アルプスがよく見える上に、一歩先に踏み出せば2,000mは落ちれるのではないか、という一枚岩。
わざわざ富士山くんだりまで登ってきて、こんな面白いピークを見逃すのはもったいない、という考えはあまりに山岳部的な思考なのだろうか・・・?

fuji_danger.jpg

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下りは砂利走りと呼ばれる急なブルドーザー道。
ちゃんとした登山靴とスパッツで装備していれば、とにかく下るだけの非常に楽な道だ。
途中、雲海を過ぎる辺りでは強烈な高湿度で服が湿ってしまう。
とはいえ頂上で太陽に照りつけられた体としてみれば、この涼しさは非常に気持ちがよい。

結局予定通り11時前に駐車場に到着し、そのまま温泉に行って帰途についた。

金曜日に出発する、という計画が功を奏したのか、富士山登山に関して言われるろくでもない要素にはほとんど遭遇せずに、楽しい山行になった。

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橋田さん

イラクで襲撃された橋田さんの本を、最近読んでいたことを思い出した。

メコン河の風にのせて、というウェブで検索してもひとつしかヒットしないようなマイナーな本。
彼の生まれ故郷である山口県宇部市の新聞社に寄稿していたエッセイを集めたものだ。
橋田さんと同じくバンコクに住む、両親が送ってきてくれた。

「現在の日本で一番誇りに出来るのは、“戦争をしない姿勢”だ」と橋田さんは言う。
アメリカやほとんどの先進国を含め、未だに世界は”戦争”というパラダイムで回っている、というのが現状だ。
みんな頭では分かっていても実感としては湧かないのではないだろうか?

世界中のナマの声を聞いて、ナマの姿を見て、それをありのままに伝える。
その当たり前の事が行われていない現状の中で、橋田さんの“声”はとても貴重な存在だった気がする。

「人間はバカだから戦争を始めるけど、バカにも限度があるからいつかは止める」、とも橋田さんは書いている。

本を読み直しているうちに、言いようのない寂しさがこみあげてきた。
日本から見える目で見て、本音で語ることができる人が1人減ってしまったのかも知れない・・・。

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太陽の下、赤道の上

長めの正月休みで、タイとアフリカに行って来た。

12月25日に東京からバンコクへ。
12月27日にバンコクからナイロビへ。

バンコクでは2日ともゴルフに費やして、感覚を取り戻した。
やっぱりこの国は遊ぶのには最高の国だ。
ただ、インフレの影が少しずつ見えてきているので、いつまで安く遊べるかどうかは不明。

アフリカの空を見上げると・・・

ナイロビは、ありきたりな表現だけど、「なかなか都会」だった。
イギリス人がそれなりに頑張って、住みやすくて、搾取できる国を作ろうとしていたんだなぁ、という意図が、あちこちで汲み取れた気がした。
朝ご飯で毎回Baked Beansが食べられることだけで、満足、満足。

ケニア山のふもとのMountain Lodge、というところが、とてもイギリス人的な所で面白かった。
5日間のケニア山へのトレッキングもやっているらしい。
是非いつかやってみたいものだ。

車に乗って動物を見に行くのは、はじめは違和感があったけれど、結果的には楽しかった。
マサイ・マラ国立公園の延々と続く、サヴァンナの世界観がなんとも言えず、よかった。
マサイ族の連中が、実は結構お金持ち、というのは想像がついて面白い。
小さな子供が牛や山羊を追いかけている姿は万国共通。
とにかく、底抜けに明るくて、開放的、というのがケニアの人たちの全体的な印象だった。

ナクル湖のフラミンゴ

アメリカ人の宣教師みたいな人たちが来ていて、あちこちで宗教的なボランティア活動を行っている姿が目についた。
ブッシュの政策は、曲がりなりにも良心で来ているこういった人々の努力を無に帰すものだ、という批判があちこちで聞かれた。
アメリカは世界の嫌われ者になって一体何が嬉しいのだろうか?
ひょっとしてあれか?
映画「ブロンクス物語」でソニーが言っているように、愛されて治めるより怖がられて治めるほうがよい、ってのを身をもって行っているのだろうか?

天地創造っぽい光の世界

1月2日、ナイロビからバンコク(1月3日着)
1月5日、バンコクから東京へ

バンコクでは、また美味しいもの食べてテニスして、ゴルフして本読んで過ごした。

バンコクから東京への便の隣が、アメリカで働いているタイ人の女の子で、アメリカで経験を積んで、アジアで一旗あげてやるんだ、と言っていた。
こういったバイタリティー溢れる人たちと話すのは楽しい。
やはり、自分の人生を生きているように見える。
はじめは、日本人だから、と話しかけられなかったのは、きっと彼女の経験的には正しい行為だったのだろうけれど、自分としては何ともショック。
やっぱり重要なのはファースト・コンタクトですな。

日本に帰って、我が東横線へと中目黒で乗り換えた際、急行の混雑模様に思わずデジカメを取りだして撮ってみようかしら、と思ってしまった。
ケニアで世話になった現地のガイドさんに、日本はアフリカみたいに動物ばっかだから、人間が好きで観察したいなら是非来れば、と言った自分としてはとても複雑な気分になった。

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