アメリカの自由とイギリスの自由

久しぶりに「自由と規律」を少しだけ読み返した。
録画しておいた、去年のラグビーワールドカップの決勝戦「イングランド 対 オーストラリア」を見た。

スポーツはルールが存在し、守られることによって成立する。
ルールはプレイヤーがゲーム中に行える行為の数を減らしこそすれ、
そのルールを守る限りにおいてはプレイヤーに自由を約束する。

この絶妙なバランスは実際にゲームをプレイすることで実地的に計られ、調整され、固定化される。
現代スポーツの大半がイングランドで発祥した理由は、イギリス人が秩序を重んじる国民だからである。

何故ベースボールやアメフトが僕の目にはアメリカ的に映るのだろう?
華やかなホームランやタッチダウンに見られるショウ・スポーツ的性格からだろうか?

違う。
そこにスポーツ的秩序の営みが見いだせないからだ。

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世界史を考えたときに、その時代時代ごとに求められる精神性がある。

奴隷制を正当化して強固な「国家」の概念を作り上げたギリシャ人。
中世の闇の後に訪れた華やかな植民制の時代に秩序を求めたイギリス人。
産業が発達し、“何でもあり”の自由精神で台頭したアメリカ人。

次の時代にはどんな精神性が求められているのだろうか?
ふとそんなことを考えた。

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教育について

週末に、田舎の祖父母の家を訪れた。

ひきこもりがちになっている、と噂のいとこに会った。
楽しくもない学校なんかに無理矢理行け、なんて言い続けられたらそりゃぁ毎日が暗くもなるよなぁ、と思った。
ちゃんと話しかけてあげればちゃんと反応する。
まだ17歳なんだから、親に頼んでインドにでも2,3年行ったらどうよ?と無責任に勧めておいた。
いや、自分だったら喜んでいくんだろうけどな・・・。

たいして美味しいわけでもない、されど田舎のテーマパークと化しつつある牧場のレストランで食事して、人波を見ていたら色々と考えさせられた。
結局日本人って人のいるところに集まる習性があるのかな、とか。
究極的な意味での教育とは、「“根元的に善な論理的ロゴスの固まり”のようなもののありかた」を教えるべきものなんじゃないかな、とか。
こりゃ「国家」の読み過ぎかも・・・。

でも、何で勉強が楽しいかを教えてくれた先生を、僕は片手でしか数えることができない。

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会社の帰りの電車で、途中の駅で1回降りたら入れなかったので、そのまま本を読んで次の電車を待った。
満員電車は避けるに限るのだが、見ていていつも思いつくのが中村一義の「永遠なるもの」の歌詞。
“♪すべての人たちに足りないのは ほんの少しの博愛なる気持ちなんじゃないかな♪”。

現在の資本主義の原動力は、あくなき所有と消費とへの憧れで、そのためには生産の拡大が求められる。
生産性の拡大は市場の拡大を意味し、個人の消費の拡大を必要とする。
このサイクルの必然が現在のメディアであるのならば、そんなメディアは滅んでしまえばいいと思う(以外と本気)。

現在の一般大衆的メディアが死んでしまった世界でも、人はパーソナルなメディアを駆使して情報を交換し続けるだろうし、インターネットはまさにそのためにあるようなメディアだ。

もし、ものごとがデジタル化することで世界のモノカルチャー化が進んでしまうのであれば、あえてアナログに生きてみるのもまた一興なのではないのかな、と思った。

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揺りかごから墓場まで、但し高等教育は除く

イギリスの最大の美徳ともいえる教育分野において、歴史的に大きな動きがあった。

英の大学授業料値上げ法案、わずか5票差で可決(日経)

要するに、全国の大学(イギリスの大学は、1校を除いて全て国立)の経営状態がよろしくないから、学費なんて上げてしまえ!!というものだ。
労働党の立場としては、equal opportunityを確保することこそが彼らのモチベーションなはずなわけで、こういった動きは抑制されるのでは・・・と思っていたが、最近のイギリスはどうやら違うらしい。

約1000ポンドの学費でさえも、親に無理して払ってもらうか、スポンサーを見つけるか、そうでなければ学生ローンを借りて大学に来ていた生徒が沢山いる。
もちろん例外もあるとは言え、そうした学生のほとんどは「高等教育を受けているんだ」という意識を持って強く持って、人一倍勉強に励んでいたと思う。

長い暗闇の時代(英国病なんて言葉もありましたね)を通り抜け、90年代後半からバブル時代を迎えているイギリス。
新しいことに飛びつきながらも、古い伝統を頑なに守り続けるイギリス。
他人との距離感を絶妙に保ち、文化の多様性を許容し続けてきたイギリス。

去年のいつだったか、大学のテニス部で仲のよかったチームメイトから、就職していた銀行を辞め、ブラジルを数ヶ月放浪してから地元に帰ってエンジニアになる、というメールをもらった。
それ以来、彼からはメールもないし、こちらから職場に送っても返ってきてしまうのだけど、彼の言いたいことはとてもよく分かった。
彼も、学生ローンを借りて、大学院まで通っていた人間だ。
彼にはロンドンの今の空気が耐えられなかったのに違いない。

現在のイギリスの姿は間違いなくおかしい。

昔読んだ森嶋道夫の本で、こんな話があった。
本屋さんで子供用の絵本を見ていた彼は、海軍の軍艦や空母なんかが書かれた絵本を開く。
そこには、イギリス海軍の輝かしい歴史が書かれているのだけれど、本の最後にこう書かれている。
「これまで輝かしい歴史を誇ってきた英国海軍ですが、その歴史はもう終わろうとしています。これからはもう、軍艦や空母を作る必要なんてないのですから」。

・・・確か、こんな話だったと思う。

チベットで会ったイギリス人は、よくしゃべる、陽気で、他の文化に対して敬意を持った、楽しい連中だった。
恐らく今のイギリスがおかしいのは、降って湧いたバブルと、現在の世界的な動きのせいではないのだろうか?

華やかな栄光を追い求めることを止め、豊かな人間的生活を送ることを選んだ老大国イギリス。
どうか、「世界の秩序」などという虚言を並べた若き帝国の思い通りに動き、自らの名声を傷つける馬鹿げた行為はやめていただきたい。

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